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2007年1月21日 (日)

あの日から12年。

まだ数日経っただけですから、この「12年」という数字で何を示すか察して頂けると思いますが。。 そう、 あの未曾有の阪神淡路大震災から12年が経ちました。 一時の過熱報道から熱が冷めたとはいえ、やはり前日・ 当日はマスコミ各社も特集を組むなどの対応でした。
少なからず阪神・淡路大震災に関わった者として、この1月17日は特別な日です。 駄文ですが、12年前の記憶や思い出、 そして懸念を書きつづろうと思います。
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"あの時"、番頭は大阪・東淀川にあった会社の独身寮(とは言っても、マンションを借り上げた一室でしたが。)で揺れを経験しました。  当時の気象庁観測によると、大阪の震度は「4」。 しかしその震度を観測した地点は、淀川を挟んで南側に位置した場所だった事と、 「震災の帯」と呼ばれた、京都まで続く強震地帯に近かった事を考え、現在の震度で5弱程度はあったと思います。  畳に敷いた布団の中で大きく揺さぶられたあの体験はとても震度4とは思えなかったもので。。

当時の仕事柄、あの年の秋に復旧・復興工事のため神戸に入りました。 まだ道路事情が悪く、 朝の限られた時間しか通行出来なかったため朝7時過ぎに現地へ着いたのですが、車を降り、改めて街を見渡し絶句しました。  応急処置で塞いだ壁、ひび割れた道路、そして、、傾いたままのビルやマンション。。。  それまでTVや新聞を通してしか知らなかった光景が、現実の光景として目の前にありました。 …その光景は、 12年経った今でもとても鮮明に覚えています。

それから数ヶ月。 日に日に空が広がっていく(半壊や、かなりのダメージを受けたビル群が取り壊されていくので。) 神戸の街を毎日見ながら、とても沈んだ気持ちで仕事をしていました。 しかし、その気持ちを和らげてくれる行事が冬に始まりました。 そう、 今では冬の風物詩になった「ルミナリエ」です。 実は、当時通っていた現場からルミナリエ会場は通りを2つ挟んだ至近距離だったのです。  最初は白いポールを立て始めただけだったので、何を行うか分からず、「変わった事を始めたな。」程度にしか感じなかったのです。 ですが、 試験点灯を目撃した時、フッと気持ちが軽くなった気がしました。 明かりって、本当に良いものですね。 ビル群が減り、 明かりが少なくなっていた街に煌々と輝く電球の灯り。 初回のルミナリエはこぢんまりとしていたのですが、 それでも沈みがちなココロには充分だった気がします。 なので、今でもルミナリエの便りを聞き気を許すと涙腺が緩んでしまう、、、って、 もう歳ですかねぇ。(苦笑)

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あれから12年経った今、縁があり関東に居を構えました。 あの大震災と同じ直下型や東海地震の発生を予言されている土地に。。

関東は、小さなものを含め本当に地震が多い土地ですね。 震度1や2程度では地震と思わない人が多いのも頷けます。 ですが、"震災" と呼ばれる地震は、そんなヤワなものじゃないんですよね。。 それでも、阪神・淡路や宮城沖、中越や北海道東方沖etc. という地震をブラウン管や写真でしか見なかった関東の人々は、「対岸の火事」程度にしか感じていないようです。 そんな番頭も、 身を持って体験していなければ、同じ立場だったと思います。 ですが、少なからず揺れを経験し、被災地の現実も目の当たりにしてきました。  なので番頭は、最大限の対策を取り、いつ来るか分からない地震に備えようと思っています。

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大地震が起こった時、個人の力はとても限られています。 というか、正直一個人の力では役にたたない事が多いです。 そのような時、 助け合いは必須条件になるのですが、果たしてこの関東ではどれだけ期待出来るのか良く分かりません。 そう思う出来事に、 番頭は2回出会いました。

最近出会った2回目の出来事は、朝の通勤電車内でした。  ほとんど始発に近い駅から乗車するため大抵番頭は座って都心へ向かうのですが、最混雑区間に差しかかった時、 突然目の前に経っていた女性がしゃがみ込んでしまいました。 うつろうつろしていたので最初は気が付かなかったのですが、 しゃがみ込んだ気配に気が付き、女性の顔を見ると真っ青。 どうやら突然気分を悪くしたようです。 その時番頭が驚いたのは、 当然ながら左右や後ろに密着する様に立っていた他の人が、一人として声もかけず、介抱もしなかった事です。  番頭は当然ながら女性に声をかけ、苦労しながら席を替わったのですが、周りの人は全く「我知らず」を決め込んでいました。  以前にも出会ったのですが、こちらの人は慣れているのか、それとも面倒事に関わりたくないのか、本当に冷たいですね。。  番頭にはそう見えます。

大地震にあった時、被災者自身が助け合わなければ本当に困難を乗り切れないのですが、関東では果たして機能するのか?  先の光景を見た番頭は、とても悲しくなりました。
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長くなりました、最後までお読みいただきありがとうございました。

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